税法
企業法務のための租税法
超時短租税法
― 第2週・深掘り編〔所得税法〕 ―
本編は、所得税法の主要論点を「なぜそのような制度になっているのか」という背景・趣旨から掘り下げます。 条文の文言や判例の結論を丸暗記しても、少し事案が変わると応用が利きません。逆に、制度の理屈――担税力とは何か、なぜ実現を待って課税するのか、なぜ所得を分類するのか――を押さえれば、初見の問題にも自分の頭で筋を通せるようになります。 各論点は、制度の仕組み → なぜそうなっているのか → 判例がどう考えたかの順に読み進めてください。
第 一 章
所得課税の理論的基礎
所得とは何か、いつ・誰のものとして課税するのか。すべての論点の土台。
なぜ「所得」に課税するのか ― 担税力と応能負担
所得税のあらゆる論点の根っこには、担税力(税を負担する能力)に応じて課税するという思想がある。憲法14条の平等原則は租税の世界では「応能負担の原則」として現れ、担税力の指標として何を選ぶかが税制の骨格を決める。
担税力の指標には、所得のほかに消費(使った分に課税=消費税)と資産(持っている分に課税=固定資産税等)がある。このうち所得が基幹とされるのは、∵一定期間に新たに獲得した経済的利益こそ、その人の「支払能力の増加」を最も直接に示すからである。消費は生活水準の低い者ほど所得に占める割合が高く逆進的になりやすく、資産は換金しなければ税を払えない(流動性の問題)。所得はその点、獲得された時点の金銭的な支払能力そのものに近い。
この「担税力への着目」は、後で見るあらゆる論点――なぜ純所得(収入−経費)に課税するのか、なぜ一時所得は2分の1課税か、なぜ累進税率か――を貫く一本の背骨である。
所得税は超過累進税率を採る。所得が高い部分ほど高い税率で課税されるのは、∵所得の限界効用は逓減する(生活に不可欠な最初の100万円と、余裕部分の追加100万円では、手放す痛みが違う)という考え方に基づき、犠牲の平等を図るためである。法人税が原則比例税率であるのと対照的で、この違いは「所得税は個人の生活を引き受ける税、法人税はそうではない」という思想の差でもある。
包括的所得概念の理論構造
第1週で「所得=新たに得た経済的利益のすべて」という包括的所得概念を見た。ここではその理論構造と限界まで掘る。
歴史的には、所得を反復・継続する源泉から生じる利益に限る考え方(制限的所得概念・所得源泉説)が先にあった。地代・利子・給料のような定期的収入だけが「所得」で、土地の売却益や懸賞金のような一時的・偶発的利得は所得ではない、という発想である。
これに対し包括的所得概念(純資産増加説)は、∵一時的・偶発的な利得であっても、それを得た者の支払能力(担税力)を現に増加させている点では定期的収入と何ら変わらない。source(源泉)の違いで課税の有無を分けるのは、担税力に応じた公平な課税に反する――と考える。理論的には「一定期間における消費+純資産の増加」を所得とみる定式(サイモンズの定式)で表現される。
現行所得税法が包括的所得概念に立つことは、譲渡所得・一時所得という一時的利得への課税規定があること、雑所得が「他のいずれにも当たらない所得」を拾うバスケットとして置かれていること(=取りこぼしを作らない構造)から読み取れる。
包括的所得概念を徹底すれば、帰属所得(自己の資産・労働から自分が得る利益)も未実現利益(保有資産の値上がり)も所得である。それでも課税されないのは、所得でないからではなく、執行可能性・評価の困難・国民感情といった実際上の理由から課税を差し控えているにすぎない。
この理解が重要なのは、∵例外を「原則の枠外」ではなく「原則を前提とした政策的譲歩」と位置づけることで、例外の範囲は限定的に解すべきことが導かれ、また立法者が特別の定め(39条・40条の自家消費課税、59条のみなし譲渡など)で原則に引き戻すことの説明がつくからである。制度の原則と例外の関係を正確に押さえることが、応用問題を解く鍵になる。
「実現」はなぜ要求されるのか ― 収入金額と権利確定主義
所得税法36条1項は、収入金額を「その年において収入すべき金額」と定める。「収入した金額」ではない。この一語の違いに、所得の年度帰属をめぐる理論が詰まっている。
「収入すべき」という文言は、現実の入金(現金主義)ではなく、収入する権利が確定した時点で収入を認識すること(権利確定主義)を原則とする趣旨と解されている。
∵現金主義によると、納税者が入金時期を操作することで所得の年度帰属を自由に動かせてしまい、累進税率の下では税負担の恣意的な調整(所得の平準化・繰延べ)を許すことになる。また、期間税である所得税は「その年の担税力」を捉える必要があるところ、権利として確定した利得はすでに担税力を増加させたと評価できる。徴税の確実・公平のためには、納税者の主観や現金の動きではなく、権利の確定という客観的基準で年度帰属を画するのが適切である。
利息制限法違反利息事件(最判昭和46年11月9日)
事案利息制限法の制限を超える利息を収受した貸主への課税。制限超過部分は私法上無効であり、「収入すべき権利」は確定しないはずではないかが問題となった。
判旨制限超過利息であっても、現実に収受され、貸主がこれを自己の所有として自由に処分(管理支配)している以上、課税所得を構成する。他方、未収の制限超過利息・損害金は、私法上無効で履行を強制できず収入実現の蓋然性があるとはいえないから、約定の履行期が到来しても「収入すべき金額」に当たらない(この部分は納税者勝訴)。
理論的意味権利確定主義は絶対の基準ではなく、権利が確定しない利得でも現実の管理支配があれば課税しうる(管理支配基準による補完)。∵担税力の増加という実質に着目すれば、法的な権利の有無より、利得を現に支配し享受している事実のほうが本質的だからである。逆に、収受しておらず権利としても無効な未収部分には、管理支配も権利確定もなく、課税の基礎となる担税力の増加が認められない。収受済み=課税・未収=非課税という本判決の区別は、二つの基準がともに「現実の担税力」という同じ背骨から出ていることを示している。
違法な所得への課税
横領による利得、違法な営業による収益――これらにも所得税は課される。一見「国家が違法を追認するのか」という違和感があるが、課税されるのが正しい。
∵第一に、包括的所得概念は利得の源泉や適法性を問わない。担税力は、利得が適法に得られたか否かで変わらない。第二に、適法に稼いだ者が課税され、違法に稼いだ者が非課税となるのは、課税の公平の著しい侵害であり、むしろ違法行為への優遇になってしまう。第三に、租税法は行為の適法・違法を評価する法ではなく、経済的成果に着目して負担を配分する法である(租税法の価値中立性)。前節の利息制限法事件は、この考え方(管理支配していれば課税)の現れでもある。
なお、後に利得の返還(横領金の弁済等)が生じた場合には、更正の請求等による事後的調整で対応するのが原則的な発想である。課税の時点では管理支配の事実を捉え、事後の変動は事後に正す――という時間軸の整理を押さえたい。
所得の人的帰属 ― 実質所得者課税の原則
所得が「誰の」所得かは、名義で決まらない。所得税法12条は、収益が名義人以外の者に享受される場合には、その享受する者に帰属するものとして課税する(実質所得者課税の原則)。
∵名義を基準にすると、家族や関係会社への名義の付替えだけで、累進税率の適用を免れる所得分散が容易にできてしまう。担税力は現実に利得を享受する者に生じている以上、課税もその者に対して行うのが応能負担にかなう。12条は、包括的所得概念(実質への着目)を「誰に」の場面で貫徹した規定と位置づけられる。
もっとも「実質」の意味については、私法上の法律関係を基礎に真実の権利者を探求する見解(法律的帰属説)が通説である。経済的な利益の流れだけで帰属を決める(経済的帰属説)と、課税関係が不安定になり法的安定性・予測可能性(租税法律主義の要請)を害するからである。ここには「実質を捉えたい」という要請と「法的安定を守りたい」という要請の緊張関係があり、その調整点として法律的帰属説が選ばれている――という構図を理解しておく。
家族で営む事業の所得が誰に帰属するかについて、実務・裁判例はその事業を経営していると認められる者(事業主)に帰属させる(事業主基準)。∵事業所得は資産と労働の結合から生じ、個々の労働提供者ではなく、経営リスクを負い意思決定を行う主体にこそ収益が帰属するとみるのが法律的帰属説と整合する。なお家族への対価の支払は、後述の必要経費の場面(56条・57条)で別途規律される。
第 二 章
所得分類の理論
10分類は暗記事項ではない。担税力の「質」の違いを映した体系である。
なぜ所得を分類するのか ― 質的担税力
包括的所得概念からは、所得はすべて合算して課税すれば足りるはずである。それでも現行法が所得を10種類に分類するのは、∵同じ金額の所得でも、その性質によって担税力に質的な差があるからである。
典型的には、①勤労性所得(給与など)は本人の心身が資本であり、病気や老齢で途絶えるから担税力が相対的に低い。②資産性所得(利子・配当・不動産など)は本人が働かなくても生じるから担税力が高い。③一時的・偶発的所得(譲渡・一時)は長年の蓄積が一時に実現したもの、あるいは偶発的なもので、その年だけ累進税率で重課するのは酷である。
この「質的担税力」の視点で見ると、各所得ごとの計算方法の違い――給与の概算控除、譲渡・一時の特別控除と2分の1課税、退職所得の分離課税――は、バラバラの特例ではなく、担税力の質に応じた調整という一貫した設計として読める。
給与所得の理論 ― 大嶋訴訟とフリンジ・ベネフィット
給与所得は、実額の必要経費控除が認められず、法定の給与所得控除(概算控除)による。この仕組み自体の合憲性が争われたのが大嶋訴訟である。
大嶋訴訟・サラリーマン税金訴訟(最大判昭和60年3月27日)
争点事業所得者には実額経費控除が認められるのに、給与所得者に概算控除しか認めないのは憲法14条(平等原則)に反しないか。
判旨租税法の定立は、財政・経済・社会政策等の国政全般からの総合的判断を要する政策的・技術的判断に委ねられるから、立法府の裁量的判断を尊重せざるを得ず、区別が立法目的が正当で、区別の態様が目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り、14条に違反しない(緩やかな合理性の基準)。給与所得者の必要経費は使用者が負担することが多く、また多数の給与所得者の実額控除を認めると執行上の混乱を招くこと等から、概算控除制度には合理性がある。
理論的意味①租税立法への違憲審査の枠組み(立法裁量の広い承認)を確立した点、②その理由として∵租税法律主義の下で租税の内容は民主的過程(国会)で決められるべきもので、裁判所が細部に立ち入るのは適さない、という権力分立的な根拠を示した点で、租税法全体の土台となる判例である。
使用者から受ける金銭以外の利益(社宅・食事・値引き・レクリエーション等=フリンジ・ベネフィット)は、包括的所得概念からは当然に給与所得を構成する。∵金銭でもらって自分で払うのと、現物で受けるのとで、担税力に差はないからである。
それでも実務上、少額のものは課税されない扱いが広く存在する。その理由は、∵①評価の困難(本人にとっての主観的価値は市場価格より低いことが多い)、②執行コスト(少額多数の利益を逐一把握する費用が税収に見合わない)、③換金性の欠如(現物は転売できず、税を払う現金を生まない)にある。つまりここでも「原則は課税・例外は執行上の理由」という包括的所得概念の基本構図が貫かれている。ストックオプションの権利行使益が給与所得とされた判例(最判平成17年1月25日)も、職務の対価として得た経済的利益は形式を問わず給与という同じ理屈の延長にある。
退職所得 ― 優遇の理由とその限界
退職所得は、①退職所得控除、②控除後の2分の1課税、③他の所得と合算しない分離課税という三重の優遇を受ける。理由は退職金の性質にある。
∵退職金は、長年の勤続の対価が一時にまとめて後払いされるものである。数十年分の勤労の成果をその年1年の所得として累進税率に当てはめれば、税負担は著しく過大になる(累進の集中効果)。また退職金は退職後の生活の原資であり、担税力は額面より質的に低い。そこで「長期間の成果の一時実現」と「老後の生活保障」という二つの性質に応じた調整が置かれている。
5年退職金事件(最判昭和58年9月9日)
事案在職のまま短期間ごとに「退職金」名目の金員を受け取る仕組みについて、退職所得としての優遇を受けられるかが争われた。
判旨退職所得といえるためには、①退職(勤務関係の終了)という事実によって初めて給付されること、②従来の継続的な勤務に対する報償ないし対価の一部の後払いの性質を有すること、③一時金として支払われること、を要する(これらの性質を実質的に備えることが必要)。
理論的意味優遇の趣旨(累進緩和・生活保障)に当てはまる実質があるかで該当性を判定する、という思考方法を示した。名目が「退職金」でも、勤務が続き生活原資性もないなら趣旨が妥当しない――∵優遇規定は趣旨の及ぶ範囲でのみ適用されるべきだからである。租税法における「形式より実質」「趣旨からの限定解釈」の代表例。なお、姉妹判例の10年退職金事件(最判昭和58年12月6日)は、勤務継続中の支給でも、退職金制度の実質的改変による精算や、勤務関係の性質・内容・労働条件の重大な変動があるなどの特別の事実関係があれば「これらの性質を有する給与」に当たりうるという例外の枠を示しており、両判決をセットで押さえる。
譲渡所得の理論 ― 清算課税説を貫いて考える
第1週で見た増加益清算課税説(譲渡所得課税の本質は、保有中に生じた値上がり益を、資産が所有者の手を離れる機会に清算して課税するもの)は、譲渡所得のすべての論点を解く鍵になる。ここでは清算課税説から各制度を「導出」してみる。
課税の対象は「譲渡の対価」ではなく「保有期間中の増加益」である。∵とすれば、資産が手を離れる原因が売買か贈与かは本質でなく、移転の機会があれば清算の機会がある。だから33条の「譲渡」は有償無償を問わない。
無償移転の時に必ず清算課税すると、相続のたびに納税資金のない遺族が課税される。そこで現行法は、個人への贈与・相続では課税を繰り延べ、取得費・取得時期を引き継がせる(60条)。増加益は消えるのではなく、次の譲渡時にまとめて清算される。
他方、法人への贈与や限定承認相続等(59条)では時価で譲渡したものとみなしてその時点で課税する。∵法人に渡ると、個人の所得税の世界から資産が出て行ってしまい、繰り延べた増加益を将来の個人課税で捕捉できなくなる(課税の連鎖が切れる)。つまり59条と60条は対立する制度ではなく、「増加益を必ずどこかで一度清算する」という同じ目的を、課税の連鎖が続く場面(繰延べ)と切れる場面(即時清算)で使い分けたものである。
名古屋医師財産分与事件(最判昭和50年5月27日)
事案離婚に伴い夫が妻に不動産を財産分与した。夫に譲渡所得課税がされるか。「分与しただけで対価を得ていないのに課税されるのか」が直感的な争点。
判旨財産分与により、分与者は財産分与義務の消滅という経済的利益を得ており、資産の移転はその義務の消滅の対価としてされたものであるから、「資産の譲渡」に当たり譲渡所得課税の対象となる。
理論的意味結論の実質は清算課税説そのもの――資産が手を離れる以上、保有中の増加益はこの機会に清算される。判旨はこれを「義務消滅の対価」と構成することで有償譲渡として説明した。直感に反する結論に見えるが、∵もしここで課税しなければ、分与を受けた妻が将来譲渡するとき、夫の保有期間の値上がり益まで妻に課税するか、あるいは誰にも課税しないかの二択になり、いずれも不当だからである。増加益の清算を誰の段階で行うかという視点で読むと、この判例の必然性が見える。
一時所得・雑所得 ― 二重課税の排除
第1週で一時所得の要件(除外・非継続・非対価性)と馬券事件(最判平成27年3月10日)を見た。ここでは、一時所得をめぐるもう一つの重要判例から、所得課税と相続税の関係という深いテーマを押さえる。
生保年金二重課税事件(最判平成22年7月6日)
事案夫の死亡により、妻が生命保険契約に基づく年金の受給権を取得し、相続税の課税対象となった。その後受け取る各年の年金に所得税(雑所得)を課すことができるか。
判旨所得税法9条1項(非課税所得)が相続等により取得するものに所得税を課さないとした趣旨は、相続税と所得税の二重課税を排除する点にある。年金受給権のうち相続税の課税対象となった部分(受給権の現在価値に相当する部分)は、所得税の課税対象とならない。運用益に相当する部分のみが所得課税の対象となる。
理論的意味相続税は「移転した財産の価値」への課税、所得税は「新たに生じた利益」への課税である。同じ経済価値に両方を課すのは、∵一つの担税力に二度課税することになり許されない。この判例は、非課税規定(9条)を単なる列挙ではなく二重課税排除という趣旨から解釈し、課税実務を変更させた点で、「趣旨から条文を読む」ことの威力を示す最良の例である。
第 三 章
所得計算の理論
収入から何を引けるか。純所得課税・消費不控除という二大原理のせめぎ合い。
必要経費の理論 ― 家事費との境界
必要経費(37条)が控除されるのは、∵所得課税は投下資本の回収部分を除いた純利益(純所得)にのみ担税力を認めるからである(純所得課税の原則)。収入を得るための支出まで課税すると、元本に課税することになり、担税力のないところに課税してしまう。
他方、家事費(生活費)が控除されない(45条)のは、∵生活のための支出は所得の処分(消費)であって、所得の獲得のための投下ではないからである。消費は担税力の存在をむしろ示す。つまり「経費控除」と「家事費不控除」は対立する規定ではなく、「獲得のための支出は引く、処分としての支出は引かない」という一つの原理の両面である。
境界に立つのが家事関連費(自宅兼事務所の家賃など)で、業務上必要な部分を明らかに区分できる場合に限りその部分の控除が認められる。区分可能性という厳格な要件が付くのは、∵区分の挙証を納税者に負わせなければ、消費の経費化(生活費の課税逃れ)を防げないからである。
生計を一にする親族に支払う対価(妻への給料、父への地代)は、原則として必要経費に算入されない(56条)。∵家族内の支払は財布の中での付け替えにすぎないことが多く、対価の名目で所得を家族に分散し累進課税を免れる操作が容易だからである。世帯単位でみれば担税力は変わっていない。もっとも、青色事業専従者給与(57条)のように、労務の実態と対価の相当性を担保する手続の下で例外的に控除を認める仕組みが置かれており、ここでも「原則否認=租税回避の防止/例外許容=実態があるなら実質を尊重」という構造が読み取れる。
損益通算 ― なぜ赤字の質を問うのか
損益通算(69条)が認められるのは不動産・事業・山林・譲渡の4所得の損失に限られる。なぜ赤字に「質」の区別があるのか。
∵包括的所得概念からは、純資産の減少も所得の計算に反映すべきで、通算は原則として広く認められるべきはずである。しかし、①雑所得等の損失まで通算を認めると、趣味的活動や消費に近い活動の赤字で給与所得等を圧縮する租税回避(損失の作出)が横行する。②一時所得・配当所得等はそもそも損失が観念しにくいか、政策的に別枠とされている。そこで、投下資本と経営リスクを伴う本業的な所得(不・事・山・譲)の損失に限って、担税力の減少として通算を認める――という線引きがされている。
この趣旨からは、損失を作るためだけに設計された取引(形式は事業・不動産所得でも実質は税負担軽減の仕組み)に対して、立法(特例による通算制限)や解釈(所得分類の否定)で対抗する流れも理解できる。通算制限の各特例は、69条の趣旨の防衛線として読むと位置づけが明確になる。
所得控除の体系 ― 課税最低限の思想
基礎控除・配偶者控除・扶養控除・医療費控除・雑損控除などの所得控除は、必要経費とは次元が違う。必要経費が「所得の金額を正しく測る」ための控除であるのに対し、所得控除は、正しく測った所得のうち課税すべきでない部分を除くための控除である。
その中核は、∵健康で文化的な最低限度の生活(憲法25条)に充てられる部分には担税力がない、という課税最低限の思想である(基礎控除・配偶者控除・扶養控除)。また、医療費控除・雑損控除は、∵病気や災害というやむを得ない支出・損失が担税力を減殺していることへの調整である。つまり所得控除の体系は、「量的担税力(いくら稼いだか)」を測った後に「人的事情による担税力の減殺」を反映させる仕組みであり、所得税が「人」に着目する税であることの現れといえる。

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